河野陽介さんのインタビュー後半は、音楽人生について伺いました。
小さい時から音楽に触れていたものの、東京藝術大学を目指すまでには様々な紆余曲折があったそうです。
前回のインタビューはこちら
また、おっさんレンタルで河野さんが指導をしたある中学校の吹奏楽部では、夏のコンクールで金賞を獲るまでになりました。
そんな風に音楽と歩んできたからこそ、見えた世界はどんな世界だったのでしょうか?
音楽との出会いは?
環境が音楽好きになった理由
幼少の頃から、音楽がそばにあった河野家。
河野陽介さんのお母様は、音大をご卒業しピアノを教える先生だったそうです。
そして、陽介さんは合唱団や吹奏楽部に積極的に入って
気が付けば音楽を選択していたほど、音楽との相性は昔から良かったのですね。
大学の進路とお父様の他界
小中高と音楽に触れて過ごしてきた陽介さんは私立の音大に進みます。
最初は東京藝術大学ではなかったことにびっくり!
よくストレートで入ったと思われるそうですが、
実は私学の音大を中退しています。
お父様の他界と私学の音大の環境に馴染めずに、
うつになってしまった経験をお持ちです。
だから、うつの方の気持ちもよくわかるそうです。
うつからの脱却
それまで、東京藝術大学を目指すなんて、恐れ多いと思って
河野さんの中にマインドブロックがあっりました。
うつ状態で、「死にたい死にたい」思っていた河野さんは、
周りからの支えもあり、「死ぬ気でやったら
後悔もない」と思うようになったそうです。
そこで、藝大を受ける気持ちに段々と変化していけた結果、
難関の藝大をたった一浪だけで合格を果たしました!
東京藝術大学から声楽家へ
実は、一人で歌うのは好きじゃなかった
藝大に入学後、始めは周りの生徒のレベルが凄過ぎて、
ビビってしまったそうです。
しかし段々慣れてくると、○○コンクールの優勝者などが
ゴロゴロいる環境は、とても情熱的な人達が多かったそうです。
向上心が高いため河野さんもどんどん刺激され
毎日が本当に楽しくなっていきました!
大学4年になるころには、合唱やオペラ、クラッシックにこだわることなく
とにかく歌がうまくなりたいと自分の核ができてきたそうです。
環境が一流だと、音楽の本質に近づきやすい!
始めは、合唱が好きだった河野さんですが、音楽を勉強するだけでなく、
プロの方と音楽をやる機会に恵まれるようになりました。
そんな機会が、ますます河野さんの音楽に対する感度を上げていきます。
河野さんが指導をしたある中学校の吹奏楽部では、
なんと夏のコンクールで金賞を獲るほどになりました。
インタビューを終えて
音楽に支えられ今では、音楽が生きがいになっている河野陽介さん。
インタビューでは、河野さんが明るくみんなに音楽を伝えられるのは
一筋縄では行かない道のりを力強く歩んでいらしたからだと思いました。
「とにかくやってみようよ!
失敗は当たり前だから、やってみることに意味がある。」と
とにかく行動を進める姿が素敵な方でした。
次回は、河野さんのボイスレッスンをお届けします。
この記事へのトラックバックはありません。