「障害者になっても憧れだった甲子園球場へ行くことができました!」
今回は松村さんという、62才男性のドキドキ・ワクワク体験談です。
松村さんは小学校のときに初めた野球が好きで、50年以上ずっと続けてきました。
障害者になって体の自由がきかなくなっても、野球をやめることなく続けてきました。
チームのお手伝いをすることで、これまでと同じように野球に関わってきたんですね。
すると、念願だった阪神甲子園球場へ行くことができたんですね。
そんな素敵な体験談です。
■憧れの阪神甲子園球場へ!
野球をしている人の憧れは、やはり阪神甲子園球場で野球をすることでしょう。
その阪神甲子園球場へ行って野球をしてきたことがあります。
今62歳の私が甲子園球場へ行ったのは3年前のことです。
小学校のころから始めた野球も50年間以上になります。
今は障害者になり自分は野球をすることが出来なくなってしまいました。
それでも毎週、私の入っていたチームのお手伝いに行っているような野球大好き親父なのです。
今はシニアのチームですが、以前入っていた一般のチームが、甲子園カップの北海道予選を勝ち抜いて、全国大会へ行くことになりました。
それが阪神甲子園球場だったのです。
その大会に私も登録してもらい、甲子園へ行くことが出来ました!
皆に支えられて甲子園球場の土を踏むことが出来ました。
甲子園では決勝の一試合だけですが、何時もテレビでしか見ることのできないベンチに入り、銀傘の凄さを感じました。
ここをプロ野球の選手が、そして高校球児が野球をやっているのだと思うと、涙が出そうになりました。
試合は12月、関西でも寒い日で北海道人でも震えるような寒い日でしたが、そんな事も忘れてしまうような試合でした。
球場は、立ち入り禁止の所が多かったのですが、雰囲気は十分感じることが出来ました。
試合は茨城のチームとの決勝でしたが、若い物の頑張りで見事優勝することが出来ました。
北海道代表が初めて優勝したのです。
勝利の感動よりも甲子園球場で野球を出来たことの方が思い出に残っています。
たった一日の甲子園球場でしたが、これで甲子園球児になることができたのです。
前日に大阪に入り、試合終了後すぐに北海道に帰る強行日程の中でしたが、初めての大阪も楽しむことが出来ました。
あべのハルカスにも行ってきました。
美味しいものもたくさん食べてきました。
この年でこんなことが出来るなんて、思ってもいませんでした。
それも障害者になり、杖をついて甲子園球場へ行けるなんて思ってもいない事が起こりました。
皆の力に助けられながら行けるなんて、まるで夢の様な出来事です。
こんなドキドキする様な事はもうないのでしょう。
子供のころから憧れの阪神甲子園球場、野球を愛する人の聖地であることは何時も変わらないのです。
そんな夢の時間を作ってくれた仲間には感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも仲間が居る限り、そして、私の体が動く限り野球にかかわって行くことでしょう。
甲子園球場の土を踏めたことは、私の勲章の様な物なのです。
これからの人生の一番大切な思い出として、残るものなのでしょう。
■今回の記事のまとめ
好きなことはどんなことがあっても、やり続けるべきですね。
もう年だからとか、時間がないからとか、面倒だからとか・・・
いろいろ理由を付けて、やらない人が多い世の中です。
でも本当に好きだと思えることは、いくつになっても続けるものですね。
そうすれば、念願だった夢が叶うってことを教えられました。
それと、周りのみんなに対する感謝の気持ちを忘れないこと。
自分ひとりの力ではどうにもならないことも、仲間の力を借りることで夢を叶えることができるんですね。
とても素敵なドキドキ・ワクワク体験をシャアしていただき、ありがとうございました。
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